姑獲鳥の夏
The Summer of the Ubume
「この世には不思議なことなど何もないのだよ」──全ての怪異は、認知の歪みだった。
姑獲鳥の夏は、京極夏彦のデビュー作にして百鬼夜行シリーズの第一作です。20ヶ月の妊娠、消えた夫、取り憑かれた女──並べるとオカルトホラーに見えますが、構造を分解すると、これは「認知の歪みが怪異を生む」ことを証明する哲学ミステリーであることが分かる。中禅寺秋彦(京極堂)が行う「憑き物落とし」は、エクソシズムではなく、認知の枠組みを再構築する知的手術です。読者の「当たり前」を徹底的に揺さぶるこの物語は、ミステリーの概念そのものを拡張した記念碑的作品です。
物語の設計図
設計図のここがすごい
分析を終えて
フローチャートに起こして最も驚いたのは、この物語が「直線的に進んでいるように見えて、実は最初から答えが提示されている」という構造です。京極堂の「この世には不思議なことなど何もない」は、単なるキャラクターの口癖ではなく、物語の設計図そのもの。読者はこの宣言を聞いているにも関わらず、怪異に引き込まれていく。つまり、読者もまた「認知の歪み」に囚われるのです。
関口という語り手の設計が秀逸です。フローチャートで関口の動線を追うと、彼が「観察者」ではなく「当事者」であることが見えてくる。語り手が信頼できないミステリーは他にもありますが、「語り手の不信頼性」と「作品テーマ(認知の歪み)」が完全に一致している例は稀有です。関口の歪みは彼個人の問題ではなく、人間の認知そのものの脆弱性を体現している。
そして京極堂の「憑き物落とし」。フローで見ると、彼が行っているのは「新しい事実の発見」ではなく「既知の事実の再配置」です。全ての情報は最初から揃っていた。ただ、関係者全員が「見えているのに認識しない」状態にあった。京極堂がやるのは、認知の枠組みを組み替えて、同じ事実に別の意味を与えること。
1994年に刊行されたこの作品は、日本のミステリーに「認知」という変数を持ち込んだ革命的な一冊です。怪異は人間の外にあるのではない。人間の脳の中にある。その一点を、圧倒的な知識と構造力で証明してみせた京極夏彦の手腕に、フローを描きながら改めて脱帽しました。